第5章　赤い風たちの思い出に捧ぐ　名古屋鉄道　揖斐・谷汲線

index 第５章　赤い風たちの思い出に捧ぐ introduction 1

第５章　赤い風たちの思い出に捧ぐ

名古屋鉄道　揖斐・谷汲線（岐阜県／2001年10月1日廃止）

● 拭いきれない疑問･･････「なぜこの鉄道が廃止に？」

2年ほど前からことあるごとに、幾人かの友人たちから「揖斐・谷汲線は素晴らしいよ。ローカル線ファンだったら絶対一度は行くべきだよ」と言われ続けていた。が、私はなかなか重い腰を上げることができなかった。もちろん、名古屋鉄道（以下「名鉄」と略す）揖斐・谷汲線が素晴らしい鉄道であることは知っている。しかし、撮りたいもの、撮らなければならないものは他にもたくさんある。それに、南部縦貫休止間際の狂乱ぶりを体験して以来、既に廃止の決定がなされた鉄道に、「もう後がないから」という理由で押しかけることを、私は生理的に嫌悪していた。最初、私はこのまま揖斐・谷汲線は撮らないつもりだった。私がかつて南部縦貫に対して注いだ以上の愛情と情熱を傾けて、揖斐・谷汲線に足繁く通って素晴らしい作品を残している人は他にもたくさんいる。私ごときが「にわかファン」が土壇場でしゃしゃり出るべきではない。ずっとそんなふうに思っていた。

だが、廃止まで7ヶ月半と迫った2001年2月。「SL北びわこ号」撮影のついでに、「折角近くまで来たのだから」ということで、私は仲間とともに揖斐・谷汲線をはじめて訪れた。そして案の定、素晴らしいロケーションと、昭和3年生まれの真紅の古豪モ750形の毅然とした姿に打ちのめされた。この鉄道には、私の住む横浜市から往復約800kmの距離を踏み越えてでも「詣でる」価値があると思った。全く愚かしいことだが、この期に及んで私はこの鉄道との出会いが遅すぎたことを激しく悔やんだ。そして、何かに駆り立てられるように、5度に渡ってこの地に足を運ぶことになった。これからお見せする写真は、最初の撮影を除いた4度の「揖斐・谷汲詣で」の記録である。

さて、正味5日間この二つの鉄道とつきあってみて強く思ったのは、「随分と頻繁に列車が来るもんだなあ」ということ。廃止予定の鉄道としては少々意外に思えた。こんな風に感じるのも、これまで自分が岩泉線（1日3～4往復）や南部縦貫鉄道（1日5往復）、小湊鉄道の末端部（休日で1日5～10往復）などのように、極端に列車本数の少ないとばかりつきあっていたせいもあるかもしれない。撮影をしていると、とにかく前から後ろから、次から次へと矢継ぎ早に列車がやってくるような錯覚にとらわれる。特に谷汲線の方は、毎月18日の「谷汲山命日」や観光シーズンの土日には、普段は使われていない北野畑駅での交換設備を利用して増発ダイヤが組まれることがあり、こうなるともうとても「のんびりとカメラを構えて」などという雰囲気ではなかった。

実際、最晩年の名鉄揖斐（以下廃止区間の黒野～本揖斐間のみを指す）・谷汲線の運転間隔は、終日ほぼ60分間隔の完全なパターンダイヤ（朝夕にはもう少し間隔がせばまる）。前述の谷汲線増発時には、10時台から14時台まで30分間隔であった。マイカーとの競合が宿命づけられているローカル線では、フリークエント運転（※1）と充分な運転本数の確保は不可欠である。その点では、名鉄揖斐・谷汲線は充分に合格点に達していた鉄道だと私は思う。例えば谷汲線の昼間（10～14時）のダイヤの場合、定期便下りの黒野発は毎時43分、定期便上りの谷汲発は毎時18分発、増発便下りの黒野発は毎時15分、増発便上りの谷汲発は毎時44分発。このパターンさえ覚えておいて、生活のリズムをそれに合わせさえすれば、利用者にとって非常に使いやすいダイヤである。沿線人口の希薄な地域であることも考慮すれば、30～60分間隔というのも決して少ない本数とは思えない。

もうひとつ興味深く感じたのは、谷汲線長瀬駅の広大な無料駐車場のことである。「パーク・アンド・ライド方式」（※2）という言葉をお聞きになったことがある方もいらっしゃるかもしれないが、黒野で乗り換えれば岐阜市中心部まで乗り入れることが出来、広大な無料駐車所を備えた長瀬駅は、まさに「パーク・アンド・ライド方式」の典型であったと思う。この方式はイギリスやオランダなど一部の国では、慢性化する都心部の交通渋滞の解消（このことは、マイカーの排出する二酸化炭素の削減や交通事故件数の減少にも繋がる！）と公共交通機関の活性化という一石二鳥（いや、一石三鳥・四鳥と言うべきか）の効果をもたらす奇策として大いに普及しはじめているが、日本では駅周辺にあまり大きな土地を確保できないケースも多く、ほとんど浸透していないのが現状だ。そんな中、時代に先駆けて長瀬駅に「パーク・アンド・ライド方式」を実現した名鉄の先見の明は、大いに評価するに値すると思う。

名鉄といえば、多くの人は花形の特急列車「名鉄パノラマカー」を思い浮かべるに違いない。あるいは中京圏に住み、普段から名鉄に慣れ親しんでいる方々ならば、名鉄随一のターミナル新名古屋駅の、行き先ごとに停止位置が違うあの独特な乗降方法などを思い浮かべるかもしれない。だが、近畿日本鉄道（近鉄）に次ぎ全私鉄中第2位の路線長を誇る名鉄は、かつて20数社にも及ぶ大小私鉄の集合体として形成された鉄道会社であり、大都市近郊の輸送をになう大手私鉄としての顔の他に、かつての旧国鉄のように多くの不採算ローカル線を抱えた苦悩の顔も持っている。その後者の顔の代表格が、この名鉄揖斐・谷汲線であった。揖斐線の前身は岐北軽便鉄道という小さな軽便鉄道。大正3年に忠節～北方（現・美濃北方）間の開業によってスタートしたこの鉄道は、早くも大正10年に美濃電気軌道に合併され、昭和3年12月20日に今回廃止となった黒野～本揖斐間の開通によって全通した。名鉄への合併はそのわずか2年後の昭和5年である。一方谷汲線は大正15年4月6日、美濃電気軌道の系列会社である谷汲鉄道によって全通。しかし、こちらは当初から過疎路線で苦戦を強いられた鉄道であったためか、母体の美濃電気軌道が名鉄に合併されたのちも、しばらく別会社のまま存続し、昭和19年、戦時中の交通統合でようやく名鉄の一員となったといういきさつがある。

● やるせなさばかりが残るカタストロフィ（悲劇的結末）

揖斐・谷汲線廃止に至るまでの名鉄のローカル線経営の手腕については、私は概ね高く評価をしたいと思う。旧国鉄は、多くの不採算路線を怪しげな算定方法でリスト化し、片っ端から切り捨てていったが、名鉄は企業努力によって可能な限り運転本数を確保し、前述のようにパターンダイヤや「パーク・アンド・ライド方式」などの試みによって、最大限のサービスを提供していた。しかし、そんな名鉄の血のにじむような企業努力も、ひとたび「マイカー依存症」という不治の病に冒された人々には通じなかったのだろうか？　北野畑で恒常的に交換をしていたころの谷汲線は、毎時30分間隔で運転されていた。つまり、マイカーを長瀬駅に停めて列車を待っても、最大30分待てば列車は来たのに･････。揖斐・谷汲線の廃止を評して「廃止は時の流れだ」とあまりに安直に断ずる人が多いのに、私は悲しくなった。もしありとあらゆるローカル鉄道が軒並み廃止となって、「マイカー依存症」がますますひどくなったら、世の中は一体どうなってしまうのか？　慢性的な交通渋滞。景観を破壊するだけで、いくら金をつぎ込んでも終わらない道路整備。1年に一度阪神大震災が起きているのと同じくらいの人が死んでゆく交通戦争。排気ガスで汚染される幹線道路沿いの空気。そんな世界が「時の流れ」の行き着く果てだなんてしたり顔で言えるのか？　マイカーと公共交通機関が共存できる道はあるはずだ。だが、公共交通の側が一方的にインフラ整備などでせっせと努力するだけではダメなのではないだろうか？　廃止間際の「お名残乗車」で多くの人々が押しかけるようになるまで、名鉄の先見の明の象徴であった長瀬駅の広大な無料駐車場は、駐車する車もなく常に閑散としていたという。そんな光景を思い浮かべると、何ともやるせない気分になる。

名鉄が輸送密度2000人未満（km／日）の5線区6区間、すなわち揖斐線末端区間、谷汲線全線、八百津線（明智～八百津間）全線、竹鼻線末端区間（江吉良～大須間）、三河線碧南～吉良吉田間および猿投～西中金間を廃止する方針を打ち出したのは、平成10年11月24日。世紀を越えて揖斐・谷汲線の奇跡の鉄道情景が生き残ることが出来たのは、名鉄のたゆみなき企業努力のたまものであったと私は信じたい。実際、谷汲線の方は、輸送人員・輸送密度の推移を見る限りでは、あまりの惨状に目を覆いたくなる。平成11年度の谷汲線の輸送密度は323人／km日。これは第三セクター鉄道中もっとも苦戦している北海道ちほく高原鉄道（316人／km日）、平成13年3月末で廃止された下北交通（358人／km日）並みの低さである。一方揖斐線（※忠節～忠節間を含む）の方は、昭和57年度の5604人／km日と比べると、平成9年度には2972人／km日と確かに往時の隆盛は見る影もないようだが、後背地が比較的大きな街（揖斐川町の中心部）であることもあり、まだまだリベンジの可能性もあったのではないかという気もするが･･････。名鉄5路線6区間の廃止交渉は長引くと思われたが、平成12年4月にくだんの改正鉄道事業法が施行されると、沿線自治体の補填により最低3ヶ年の鉄道存続が決まった三河線以外の4線の廃止交渉はあっけなく決着してしまったことを附記しておこう。

揖斐・谷汲線の廃止とともに、両線の主役として活躍した3両の赤い古豪モ750（751、754、755）も運命をともにする。モ750は昭和3年製というから、車齢はなんと73歳。同僚のモ510とともに、全国屈指の最長老電車と言えよう。最晩年には揖斐・谷汲線のようなローカル線をのんびりと走っていたが、755号などは下呂特急専用車両としてSLに引かれて国鉄高山本線に乗り入れていた経歴もあり、往時は名鉄の花形車輌であった。73年もの間働き続けた老雄たちの矍鑠とした立ち姿には、働き者のすがすがしさを感じた。幸いにして3両とも解体は免れ、旧本揖斐駅、旧谷汲駅、そして大野町内の公園へと引き取られることになったという。もう動くことはないが、激動の73年の最後の余生を送った地で末永く大切にしてもらいたいものである。

最後にもう一言だけ、お許し願いたい。私自身は、名鉄揖斐・谷汲線の忠実な記録者などとはとても言えない。ロケーションに恵まれ、モ750形というこの上なく魅力的な電車が走る両線の魅力は、たかが7ヶ月半・5度程度の撮影では、ほんの片鱗しか捉えることは出来ない。揖斐・谷汲線とともにあった鉄道情景は、ほとんど「揖斐・谷汲世界」とでもいうべき小宇宙さながらであった。撮り残したカットはあまりに多く、他の熱心な記録者たちの傑作を目にするたびに、私はただただ嘆息するばかりである。しかし、平成13年9月30日をもって、この素晴らしい「世界」はまるごと永遠に消え失せてしまった。いくら求めても、あの奇跡のような鉄道情景は二度と戻ってこない。失ったものはあまりに大きい･･････

せめてこの拙い連作をもって、私は私なりに、愛らしい赤い風たちのささやかな思い出を後世に語り継いでゆこうと思う。これはそんな泡沫のような愚かな試みだと思って欲しい。

(執筆　2001年10月3日)

（※1）←ここを押すと本分の指定の箇所へ戻ります
同じパターンの運転ダイヤを、等間隔で繰り返すこと。

（※2）←ここを押すと本分の指定の箇所へ戻ります
都市部の道路混雑を緩和するため、都心部に乗り入れる鉄道の郊外駅等の周辺に駐車場を整備し、マイカーを駐車（パーク）させ、鉄道等公共交通機関への乗換え（ライド）を促すシステム。

●参考文献

徳田耕一『名鉄の廃線を歩く　愛執の30路線徹底踏査』JTBキャンブックス

武相高校鉄道研究同好会『今日ものんびり谷汲線　サヨナラ名鉄4路線／廃止残念号』竹内書店新社　2001年7月5日

「Rail Magazine 211号／＜特集＞瀬戸際のローカル私鉄たち」
　「特集　ローカル私鉄廃止表明12線／名古屋鉄道」（寺田裕一）

揖斐・谷汲線は岐阜・名古屋に近いこともあり、数多くの中京圏の熱心なファンが、にわか参戦組の私など及びもつかぬような素晴らしい記録を残されている。その中でも特に下記の写真集は、卓越した観察眼と、たゆまぬ情熱と、「揖斐・谷汲線世界」への誰よりも深い愛情をもって紡ぎ上げられた希有の記録と言えよう。あえて全ページモノクロにしたことによって、鉄道とともにあった「揖斐・谷汲線世界」が、よりリアルに生々しく蘇ってくるようだ。皆様にもぜひお薦めしたい。

『名鉄　揖斐谷汲線』写真・駒田匡紀、岐阜新聞社発行、岐阜新聞情報センター発売　2001年6月8日

　

※このページでは、文中の全ての注にリンクを張ってあります。青字の箇所をクリックして下さい。

index 第５章 赤い風たちの思い出に捧ぐ introduction 1

第５章 赤い風たちの思い出に捧ぐ

名古屋鉄道 揖斐・谷汲線（岐阜県／2001年10月1日廃止）

● 拭いきれない疑問･･････「なぜこの鉄道が廃止に？」

● やるせなさばかりが残るカタストロフィ（悲劇的結末）

●参考文献

※このページでは、文中の全ての注にリンクを張ってあります。青字の箇所をクリックして下さい。

index 第５章　赤い風たちの思い出に捧ぐ introduction 1

第５章　赤い風たちの思い出に捧ぐ

名古屋鉄道　揖斐・谷汲線（岐阜県／2001年10月1日廃止）